2020年1月23日木曜日

コブミノカヤタケとヒイロイヌシメジ②

 昨年の6月15日記「コブミノカヤタケとヒイロイヌシメジ」どうもスッキリしなくて 、まるでもつれた糸のよう…。
 これって、一番最初の元になった学名の現行名を調べるとハッキリするんじゃないかと余分なシノニムを省いてみた(下の表)。

ヒイロイヌシメジの原記載学名はAgaricus gilvus Pers.
 MycoBank:現行名 Lepista flaccida (Sowerby) Pat.
 IndexFungorum:現行名 Paralepista gilva (Pers.) Raithelh.

コブミノカヤタケの原記載学名はAgaricus inversus Scop.
 MycoBank:現行名 Lepista flaccida (Sowerby) Pat.
 IndexFungorum:現行名 Paralepista flaccida (Sowerby) Vizzini

 このことから、分かったのはMycoBankでは、両種を同種としていて、ParalepistaではなくLepistaとし、IndexFungorumではParalepistaを採用している。
 IndexFungorumの ヒイロイヌシメジのシノニムAgaricus gilvus Pers.とMycoBankのヒイロイヌシメジのシノニムAgaricus gilvus Pers.は同種。つまり、現行名は同種異名ということなんだと思う。
 きっと、「一つの種には世界共通の一つの学名」とは言っても、研究者が誰の提唱を支持するかでこのように学名が変わってくる・・・ということだろうか。

ヒイロイヌシメジ及びコブミノカヤタケの和名は村田義一 いずれも1979年

2020年1月11日土曜日

変形菌という語

 きょうは、江別市にある道立図書館に行ってきた。
   貸出禁図書になっている「植物文化人辞典」(大場秀章著 2007)を閲覧してきた。 
 田中延次郎という人物が、どうも気に掛かり調べていると、おそらく田中のことをこれ以上に書かれたものはないと思われるものに、堀正太郎の「植医50年の回顧」がある。晩年の田中は無職になってから誰とも接触していなかったらしく、亡くなった後に精神病院で亡くなったとしか誰も聞いていないようだ。おそらく「植物文化人辞典」を閲覧しても無駄だろうと思いつつ、確認だけはしておこうと思った。
 それほど長くない文章の中に「 明治18年帝国大学理科大学植物学教室専科に入学。高等菌類から植物寄生菌、かび、変形菌に至るまで幅広く菌類に関心を持ち、わが国で初めて変形菌に関する論文を発表した。その際に”変形菌”という語を創案した。」と書かれている。変形菌もやっていたんだ…変形菌という語は田中が創ったものだったということが、私にとっては新知見だった(無駄ではなかった)。

2020年1月7日火曜日

梅園菌譜

梅園菌譜(1836)というのをGoogle検索してみた。
すると、国立国会図書館デジタルコレクションというのが出て来た。クリックしてみると…おぉ!中身を見ることが出来るんだ、とカンドー。
早速中身を見てみると、これまたワォッであった。
さすがに日本人の1番人気マツタケ、何やら文字が沢山書かれている。

↓これは、コフキサルノコシカケ(左)とマメザヤタケ(右)かな?
↓ああ、シイタケね 、昔からシイタケと呼ばれていたんだね。
↓カレバキツネタケ(左)? ニセカイメンタケだろうか?
↓右下はチシオタケだよね、左上はエノキタケかな
左下はニッケイタケだろうか? 右上は何だろ?
何という種を描いたのか、なんて見ているうちに なんだかハマってしまった。
まだまだ図譜は沢山あって、面白い。

2020年1月5日日曜日

Friesの時代

Friesの時代にハラタケ目は20属あることが分かった。
しかし今イチ分からないのが、1794年にC. H. PersoonがAmanitaの属提唱をしている。でも、どうもAmanitaはAgaricusの節(?)として入っているような‥‥。

更にAgaricusは1826年にChevallierという人によって格上げされ、すでにAgaricaceaeになったと思っていた。そのAgaricusも、目(order)がありその下に属があるみたい。そのAgaricusを胞子の色分けをし形状も記しグループ分け(節)しているものの…ceae(科)という語も、当時あったであろうsectio(節)はおろか、familia(ラテン語で科)の語も見当たらない
 どういうことであろうか…。
ラテン語を全く読めないのに調べてみようなんて、やはり無謀…だった(- -;)。
 ただ、
フリースはBoletusを多孔菌としてタマチョレイ目の下に置いていたことが分かった。
フリースの時代には、ハラタケ科やイグチ科はすでにあって
それに沿った分類をしていると思っていた.
また、Persoonの分類(1801)とは全く別の
子実体及び胞子の色や形での分類なのかな?って気がしている。
(それはそれで、画期的で、自分が思っている以上に遥に凄いことなんだと思う)

今のところ、分かったのはこの程度。

2020年1月4日土曜日

生物多様性遺産図書館

 先日、リンネの「植物の種」を閲覧した。その生物多様性遺産図書館(BHL)
もしかしたらと思い、フリースの「Hymenomycetes Europaei」も閲覧できるだろうか と試してみると、出て来た…すご~い!
 しかし、フリースの集大成と言われる「Hymenomycetes Europaei」が出たのは1874年で、この頃は1826年にAgaricaceaeが設立されたたものの、(現在の)ハラタケ目にある科はAgaricaceaeひとつ。殆どがハラタケ科○○属か、属にまだ昇格していないグループもあり、その辺を分かって見た方が良いのかな?と思う。
  上の表は、シンガーの分類体系3版(1975)に沿った原色日本新菌類図鑑にあるハラタケ目の科。いつ頃属に独立し、いつ頃科に昇格したのか調べた表。シンガーの分類体系4版(1986)では、ベニタケ科はベニタケ亜目、イグチ科やオニイグチ科などはイグチ亜目に移動している。
 1962年にシンガーの分類体系1版 が出るまで、おそらくフリースの分類体系が主流だったのだろうと思う。しかし、20世紀に入ると属から科への変動があり、それを整理したのがシンガーだったのだろうと思ったりしている。今はDNA解析による生物学的分類で国内既知ハラタケ目は28~30科になっている。リンネの時代から現在に至るまで分類の変遷はどんなだったのだろうと最近気になり出していた。

------余談---------
 日本での過程もチョコチョコ調べていると
例えば田中延次郎が無職になり、妻を亡くし、精神病を患い入院先で41歳で亡くなったという文章を見て、何だか胸が詰まってしまった。そして山渓の旧「日本のきのこ」で今関先生があとがきに書かれていた文を思い出した。【菌の分類学を専攻したいと教授に申し出た学生が「菌を研究しても職にありつけないから断念しろ」と言われた】と。この教授は、職にありつけなかった学生をたくさん見て来ただけでなく、田中延次郎の末路を知っていたのだろう…とか。たぶん、田中延次郎はドラマのような人生だったんだろうな…とか。想像ではあるけれど見えてくるものがある。

2020年1月3日金曜日

雷丸というきのこ

 何気に、雷丸という名のきのこに目が留まった。どうも地下生菌っぽい。このきのこは、中国で虫下し薬として漢方に使われているらしい。
 気になったのは、Omphalia lapidescensと学名が付いているようで、なぜかPolyporaceaeとなっている。Omphaliaってタマチョレイタケ科なの?と
その学名をMycoBankやIndexFungorumで確認してみた。やはりTricholomataceaeになっている。どうもチョレイマイタケの菌核の仲間と思われたのか、どこかで科と学名の掛け違えというか間違ったものがそのまま使われているようだ。
 それにしても、雷丸は菌核なんだろうか?

2020年1月2日木曜日

今年やること、その一つ

 以前から、「田中長嶺」という名前は知っていた。けれど、この人が田中延次郎と共著で1890年に「日本菌類図説」を出していたことを知ったのは、つい最近のこと。
 種の記載はリンネから始まった。では日本で最初の記載は、というと外国人によって日本から採集されたきのこが 、本国に持ち帰られ外国人によって同定されたのが1860年頃。それまで、和名の付いたきのこの紹介などは古くからあったものの、学名が付いたきのこの紹介は日本植物学雑誌が発刊された1887年以降。この植物学雑誌は現在の日本植物学会会報の前衛に当たるもので、田中延次郎・牧野富太郎・染谷徳五郎・大久保三郎らが創刊した。そこで田中延次郎は1890年にハツタケやアカハツの新種記載をしている(ハツタケは、それより30年前に記載報告があり、田中のつけた学名は現在シノニムとなっている)。日本人できのこ初新種記載は田中延次郎、そして、日本で図鑑と言われるものの最初は田中延次郎・田中長嶺共著の「日本菌類図説」ではないだろうか。しかし、これは3巻15編出される予定が、1巻1編で終わってしまったらしく、この「日本菌類図説」についてGoogle検索をしても殆ど情報が得られない。
 そんな中、面白い記事を見つけた。中條長昭・菊山功嗣 著の「我が国近代学術黎明期の埋れた菌類学者田中長嶺の研究 」2011
 本棚に以前購入していた「田中長嶺の研究」風間書房(1967)がある。購入当時、田中長嶺はどんな人だろうと数十ページ読んだものの頓挫していた。

今年は、この本を再読というか読み終えようと思う。
たかが1冊、と思われてしまいそうだけど…。